「ステーキ&カレー ふらんす亭」の創業者・松尾満治氏が、外食のリーダーを目指す方、外食の起業を目指す方を対象にした塾を開校する事になりました。塾の名前は、「松尾本気塾」です。
開校を記念しまして、≪創刊1周年記念特集:よみがえれ外食産業!誰も言わない外食産業の問題点を語る≫の取材におけるロングインタビューの中から、起業を志した少年時代、修業時代、1号店などのお話しを再編成して、起業を目指す皆さんへのメッセージとして掲載させていただきます。
「外食は、夢と感動に満ち溢れた素晴しい世界」、「外食に携わる方のお役に立ちたい」という熱い心を持った松尾塾長による講義を、まずはこの起業のためのネット講義で受講下さい。
「 ふらんす亭 」 一号店は1979年、東京・下北沢にオープンしました。店の売りはカレーです。修行した佐世保の 「 ふらんす亭 」 で勉強したものを参考にして、自分なりに工夫した味です。店名は、佐世保のお店からいただきました。修業をしているときに、私がまかないのチャーハンを作る機会があったのですが、その時にフライパンを空っぽにしたことがあるんです。先輩に言われるままにフライパンを引いたら、全部落ちちゃった…。それを見ていた社長が、「 お前が店をやるなら、いいコックを探せ 」 なんてからかわれましたよ(笑)。でも10ヶ月くらい経ったある日、突然、「 君の店の名前に “ ふらんす亭 ” を使っていい 」 と言われました。その言葉には、とても感激しましたが、私にしてみれば、重過ぎる名前でもありました。今でこそショッピングセンターの中に30~40坪の店ができたからいいですが、1店目は、公衆便所に入るような店構えでしたから(笑)、ミスマッチもいいところでしたよ。
一号店は、開店前からまったくといっていいほど、うまくいきませんでした。地下の物件で10坪しかないことをはじめ、厨房はすべて中古品、壁紙は自分で貼ったもの。すべてないない尽くしでしたが、その代わり、カレーにはちょっとだけ自信がありました。それで、勢い込んで厨房で作ってみたのですが、これが全然美味しくない。まずいのを我慢するというレベルではなく、喰ったら気持ち悪くなってしまうようなカレーでした。手鍋で数人分作るのと、寸胴で200人分を作るのではまったく違うことにオープン前日に気付いたんです。粉を焼き過ぎたらしく、オープン前日のレセプションで義理で食べてくれた人は、夜中に全員がもどしてしまったらしいです。
翌日の12時が開店予定だったので、徹夜でそのカレーの面倒を見たけれど美味くならない。お祝いの花は届くわ、皆が応援にくるわという当日10時に、「 みんな、ゴメン。今日は中止 」 と高らかに宣言してしまいました。「 ガス工事不良のため開店を延期します 」 とウソの張り紙をする屈辱を初日から味わいました。手伝いに来ていた姉からは、「 5日間やるから一から作り直しなさい 」 と怒られました。それで佐世保に電話を掛けて、チーフに 「 カレーができない 」 と泣きつきました。本来のオープン予定日は、記念日らしく12月24日のクリスマスイブにする予定だったのですが、この失敗のお陰で 『 ふらんす亭 』 の開店記念日は、12月29日という年末の本当に中途半端な時期になってしま いました。しかしこの失敗のお陰で、開店記念日のたびに、料理を美味しく作る気持ちを思い起こす事ができるようになりました。
一日5万円位が分岐点で、7万円はいくだろうなと思っていましたが、初日の売上はわずか7000円。知人たちがお祝いに置いていったお金を全部売上に充てましたよ。カレーに対するお客さんの反応も悪くて、首をかしげていました。いま考えると、やっぱり美味しくなかったんでしょうね。
開店当初は、いろいろと策を凝らして、納豆や茸、ニンニクなどカレーに入れられそうな食材をずらっと並べて、好きなトッピング3種でいくらという売り方をしていました。その中で、チョイスの率が良かった物を具材に組み込むという布石のつもりでしたが、まったく受けなかった。当時の外食というのは、定番料理じゃなければいけなかったんです。見せるだけでコーヒーが飲める「コーヒー定期券」を500円で販売しましたが、どうにもならない。運転資金も底をついたので、地下物件なのに「雨もりする」と嘘を言って、どうにか銀行から200万円の補修費を借りて、しのいだこともあります。唯一手応えがあったのは、写真入りのパネルを入口と地下へ降りる階段の踊り場にぶら下げたこと。それだけで、その日から売上が2割も増えました。後年、繁盛するようになって、新人アルバイトがそのパネルをぞんざいに扱うと古参のアルバイトの連中は、「バカ、これで売上が2割も違うんだ」と怒鳴ってましたね。それから、レモンステーキを始めた時も売上が2割伸びました。試行錯誤の末、4年目にやっと月180万円の売り上げが出るようになりましたが、その頃には借金がかさんで固定費が上がったため、それでも毎月30~50万円足らなかったですね。 寒い冬の夜、毎晩バイクで帰りながら、「 今日だけで2万円も消えて(赤字になって)しまった。この調子じゃ3ヶ月ももたないなぁ 」 なんて思っていました。
松尾 満治
九州・佐世保の高級レストラン「ふらんす亭」にて1年間見習いを経験した後、26歳のときに東京・下北沢のビル地下1階に10坪の「ふらんす亭」を創業。20年後の平成12年にフランチャイズ化して、「ふらんす亭」の他に居酒屋、イタリアン、ラーメン、カフェなどの業態で直営店75店舗・FC100店舗を展開(2006年8月時点)。外食に従事して30年を期に「ふらんす亭」を譲渡、外食で夢を追う人を対象とした「松尾本気塾」を今年6月から開催する。また、「ふらんす亭」を運営する株式会社フードデザインの顧問として、社員研修に携わっている。
よみがえれ外食産業!誰も言わない外食産業の問題点を語る~業界の活性化には力を持った“人”を育てることが急務~[松尾満治]