繁盛店には、来店の度に新しいお客様を連れてくる“愛顧客”が必ずいることに注目して「愛顧客理論」を確立し、数々の人気店舗に携わっている店舗プロデューサーの川野秀哉氏。多くの店舗プロデューサーが開業までを仕事領域としているのに対し、愛顧客育成をベースにオープン後にも積極的に関わり、約半年で繁盛店へと導くのが川野流である。また、自身のブランドである「豚料理専門店豚公司(とんこんす)」も人気店に育て上げており、その理論を実践、さらにブラッシュアップを行っている。今回は、起業を目指している外食ドットビズ読者に向け、繁盛店のプロフェッショナルである川野氏から貴重なお話をうかがうことができた。
1995年には、豚饅を通販したいと依頼してきた人がいました。最初は、豚饅を通販で?って思いました。やっぱり店前で湯気上げてんのが、一番美味しそうですから。それをきっかけに手掛けたのが 「 伝説の豚饅 」 です。店舗コンセプトから考えて、1年間で全国に50店舗オープンしました。たった2~3坪のテイクアウトの店ですが、福井県の鯖江市に開店した1号店は1日2000個も売りよったんです。それからどんどんロードサイトに出して、ラジオCMも入れていくもんやから日本海側で一気に増えました。一時期、品質がブレて味がおかしくなったことがあるんです。自分で作ろうとして工場もおさえて作ったんですが・・・。豚饅って皮は膨らんで、中はギュッと収縮する。絶対にスキマが空きますやん。汁が出て空洞ができるんですが、551さんのようにぎっしり詰まった豚饅もある。あれはむっちゃ難しいことなんです。うまいことできへんけど、ブームだったので出さないとしょうがない。ええ加減なもんでも出し続けて、その間に直そうとしたけれど、食品メーカーがこそっと肉を変えよるという事件も起こりました。知り合いだった食肉卸の萬野さんに相談したら、肉質も種類もようわからんミンチを仕入れてたらアカン、塊で買って自社でミンチにすべきと指摘されました。
収縮の問題は解決してへんままでしたが、豚饅事業は96年から崩壊していきました。あまりに儲かり過ぎて内紛が起こったんです。詳しくは言われへんけど、裁判沙汰になったり。関わった4社のうち、ウチだけがなんとか残ってる厳しい話です。この時に、強く思ったのは 「 やっぱり、食い物を扱う時に中心となる食材がブレたらどうしようもない 」 ということです。それから、「 こんなにも世の中の多くの人が騙されてしまうんや 」 とも思いました。創業半年後のGWに福島県郡山市の店で、1日に4500個・約90万円を売ったのが最高でしたが、その時はすでにマズイ豚饅になっていました。派手な宣伝と見かけ、美味しいという風評でリピートして買うてくれる人がいるんです。いま思うと、飲食店をプロデュースする上で、やってはいけないことをここで身にしみて感じたのかもしれません。
豚饅が終った後の96、97年頃は、雑貨店や古本屋のチェーン展開など幅広く手伝いをしていました。そして、98年になると、僕にコンサルタントという肩書きを付けてくれた西成の製麺業のオッチャンが再びやってきました。「 うまいラーメン屋があんねんけど、FCとかチェーン化できへんか? 」 とね。一緒に食べに行ったら、ホンマにうまかったんですよ。そこのオーナーをよう知ってるから、3人で一緒にやろうというわけです。豚饅で懲りたんで手伝いはするけど一緒に経営はやらんと断ってたんです。それでも、なんやかんやいうてるうちに 「 中に入れへんかったら、おもろないやん 」 と口説かれてしまって、結局三社共同経営に参加してしまいました。西宮市鳴尾というところの国道沿いに50坪の店舗を出しました。ところが、オープン2ヶ月前になってもラーメンのレシピが出て来ない。そのオーナーが抱えてた職人がレシピ出すのを嫌がりよったんです。自分たちで頑張っても同じ味のものができへん。仕方がないから急遽中華の職人さんを募集したけれど、やっぱりこれというスープができなかったんです。そうしたら、OPEN初日、お客で来てた中国人が突然 「 私、ここのラーメン美味しくできるよ 」 というんです。「 これよかったら使って 」 と白い物体を出してきたので、試しに厨房でやらせてみました。仕込み中の寸胴にその白いものを入れた瞬間にめっちゃうまくなったんです。驚いきましたね。「 ここで雇ってください 」 と言うから、マネージャーと名乗る日本人の女の子も含めて雇いました。最初に雇った職人は、中華の腕は素晴らしかったんですが、オープンまでにラーメンを作る事ができへんで、オープン当日に来よらへんかったんです。プライドもあったんやろうね。しゃあないからアルバイトだけでスタートしたところだったので、その中国人に任せてみました。
それでもなかなか売上目標には届かない。僕と製麺業のオッチャンが持ち出して赤字を補填するするような形だったんですが、ある時急遽閉店になりました。オッサンから連絡が来て、「 問題があって、マスコミが集まり始めてる 」 というんですよ。何の話かわからんでしょ。実は、その店も含めて関係者の所にちょくちょく泥棒が入っているという事件があって、その中国人がどうも主犯格だったみたいなんですよ。泥棒に店を任せてるもんやから、夜中はミーティング場所になってた(笑)。自分の店の金庫を破るなんて簡単な話ですわ。中国の窃盗団があちこちでニュースになってる頃で、「 ラーメン屋の主人が泥棒 」 とマスコミに出て、経営者の名前も出たらやばいとなって、さっさと閉めるはめになりました。これが2回目の事件。笑ろうてまうでしょ。調理のこと、立地のこと、管理のこといろんな勉強させてもらいましたけどね。
株式会社リンク
代表取締役(店舗プロデューサー) 川野秀哉氏
1959年大阪府出身
1987年にコンピュータソフト会社リンク創業、通販ソフトおよび通販事業の立上げ指導を業務としていた。その後、飲食店をはじめ各種店舗のアドバイスも手がけるようになり、繁盛店には必ず愛顧客(来店の度に新しいお客を連れてくるお客)がいることに注目して「愛顧客理論」を確立。
日経レストラン誌には、02年から2年間「愛顧客育成講座」「愛社長養成塾」を毎月4頁執筆。幅広い読者層の支持を集めて、連載終了後はナニワの繁盛指南士として活躍、「愛される店の理由」も上梓する。05年には自ら「豚料理専門店豚公司(とんこんす)」を開店、愛顧客育成の実践などノウハウのショールーム的な位置付けで人気店に育てている。