高品質なステーキを安価で提供する「ガッツ・グリル」と焼肉食べ放題の「ガッツ・ソウル」を都内で5店舗営業する熊木健二氏。“安い値段でお腹いっぱい肉を食べたい”という自身の若い時の思いを形にした店舗は、若者やファミリー層を中心に多くのファンを抱えています。安くて美味しい店を作りだすために、いかなる経験と努力があったのかをお教えいただきます。
1店目となる 「 ガッツ・グリル 新宿店 」 は、オフィスビルの中でも少し奥まった場所にあります。しかし、ビジネス街で人が多ければ、ちょっと位は奥まった場所にあっても大丈夫だと考えています。その分、家賃が安いというのも理由のひとつです。メニューづくりに関しては、サラリーマンが満足できるということがテーマです。ちっちゃい時に正義の味方のマンガをよく見ていて、大人になったら、ホンマに正義の味方になりたいと思っていたんです(笑)。正義の味方は、困っている人の味方。だったら、腹いっぱい肉を食べられる店がええやろうという、くだらない考え方が基本ですよ。その考え方でもやっていけると思ったのは、あるビジネスセミナーで 「 価格が低ければ低いほど志が高い 」 という言葉に出会ったから。「 価格が低いほど、利は薄いが、世の中のためになる 」。これは、正義の味方みたいで格好ええやんかと思ってしまったわけです。単純な性格やから、金持ち相手に高いもの売るより、原価に挑戦せなアカンと考えたわけです。その結果、辛い状況が今も続いているんですけどね。
いままでのステーキハウスは、メニューを絞るという方針だったのですが、夜にお客さんに来てもらうために、一度大きく広げて改めて考えていこうと思いました。そうはいっても、やはりビジネス街の夜は集客が少ないんです。自分がサラリーマンだった頃を面し出すと、金額が決まっていて食べ放題が一番よかった。それはいつの時代も誰でも喜んでくれるはずですから、 3000円で飲み放題・食べ放題に踏みきったのです。それで、やっとお客さんが夜にも来てくれるようになりました。うまいことに、在庫もきれいになくなっていくし(笑)。
そうしているうちに、今度は 「 こういう店が家の近くにあるとうれしい 」 とお客さんに言われて、郊外にある地域密着型の店が行けるんじゃないかと真に受けてしまいました。東京の東端にある住宅街の小岩で、線路の高架下に大手のファミリーレストランができたという話を聞いて見にいったら、もっと駅に近い高架下に空き物件があったんです。ご丁寧に問い合わせ先も書いてあるので、その場で電話をして話を聞きに行きました。敷地 60坪で建坪33坪、中二階が18坪ある大きさで、家賃がいくらなのかと聞いたら、逆にいくらで借りたいのかと質問されました。どうせ多店舗展開するなら、セントラルキッチンを作って味の均一化を図ろうと考えていました。セントラルキッチンとして、僕が出せる限界は月20万円だと正直に言ったら、さすがにそれは無理で、最低でも35万円位だと言われました。でも、自分はすでにやる気モードですから、そこで作ったものを横で売ってやろうと、店舗併設の許可をもらって契約をしました。
ところが、見積りを取ってみたら、計算の倍以上の額でひっくり返りましたね。大きさがあるから金が掛かるわけです。だから、施工業者には、「 天井も壁も床もやらんでいい、厨房だけ作ってくれ 」 という依頼にしました。それでもはるかに予算オーバーですから、セントラルキッチンどころじゃない。売上を出さなアカンと 「 ガッツ・グリル 」 の2号店にしました。店の作りもおかしかったですよ。入口を道路と反対側に作ったんです。「 地域密着型やから、こんなに車が通るような道は子供に危ない。裏やったら出入りしやすい 」 という理由です。取引先や関係者全員が引きまくりでしたね(笑)。でも、作ってしまった以上はやるしかない。立ち上げは苦労ばかりでしたね。
熊木 健二
1960年奈良県生まれ。幼少時から実家の酒店で立ち飲みカウンターの手伝いをするなど接客業に親しみを持ち、学生時代は東京のステーキ店でアルバイトを経験する。アパレル業界に就職した後、バイトをしていたステーキ店へ転職、フランチャイズ方式でビジネス街を中心に20店舗のチェーン店を立ち上げる。同社の社長に就任するも、自ら直営に乗りだすべく1999年に独立、ステーキ&タコス「ガッツ・グリル新宿店」を開業する。その後は、ガッツ・グリル並びに焼肉食べ放題の「ガッツ・ソウル」を2年に1店舗というペースで出店、現在、都内に5店舗を構えている。