悔しい思いをしても、楽しめるヤツが成功する!

悔しい思いをしても、楽しめるヤツが成功する!

大人の隠れ家的居酒屋「勝手口 てやん亭゙」、博多串焼きの専門店「ごりょんさん」など5店舗を都内に展開している岩澤氏。27歳の時に初めて外食産業に興味を持ち、前回の講義にご登場いただいた宇野隆史氏の元で修業を開始したというチャレンジ精神の持ち主です。
西荻窪に「てやん亭゙」を出店してから10数年、いまも挑戦を続けて全店舗を繁盛店に育て上げているほか、スタッフ指導にも力を注ぎ、岩澤氏の元から新たな起業家も巣立っています。
起業に必要な気構え、繁盛店へ育てる秘訣など、外食産業での独立を考える人々に向け、熱いメッセージをいただきました。

第3回 悔しさが人を育て、店を育てる

西荻窪からはじまって、5年前から表参道、西麻布、渋谷と店舗を増やしていきました。何軒も出そうなんて思ってなかったんですけど、西荻窪のお店を一人でやっているうちに、一緒にやりたいとスタッフがなぜか入ってきたんですよね。募集もしてないのに。そうこうしていたら、いよいよ自分の給料が取れなくなってきてしまった(笑)。それで店舗を増やそうかなと思いました。2年目だったかな、僕がバイクで交通事故にあって、2ヵ月ほど入院して店を離れたんです。僕は器が小さい人間で、毎日店にいないと気が済まないタイプだったんですが、入院したら任せるしかない。そうしたら、店の売上は落ちるどころか上がっちゃった。自分は必要ないのかなんて思いましたね。二ヵ所も骨折してて病室の天井を見上げるだけの生活をしていたのですが、「これだけの事故をやっても命があったことがラッキー。神様が生かしてくれたんだ。オレは店を守ってくれてる若者たちに恩返しをしよう。あいつらを育てていっぱしの経営者にしなきゃいけないんだ」と天井と固い約束をしました。

退院してからアパレル時代に親しんだ表参道で物件を探しました。当時の表参道は、店は少なかったのですが、それでも物件は高かった。ところが、事故の保険金や慰謝料で信じられない額のお金が飛び込んできてた(笑)。保険金がそのまま保証金になって、表参道のビル一階に店を出すことができました。だからといって、これから起業する人に「事故を起こせ」とは言いませんよ(笑)。

てやん亭゛西麻布店
てやん亭゛西麻布店

表参道は、さすがに開店と同時にお客さんが入って、苦労しないで客が行列するという経験をしました。でも、従業員が黙っててもお客さんが来るという風潮になっちゃって、これは良くないなと思いました。それで8年前に出店したのが、西麻布の「てやん亭゙」なんです。こうなったら、絶対に客が来ないようなところに店を出してやろうと繁華街から離れた住宅街に一軒家を借りた。その代わり、絶対に繁盛店にしてやろうと決意しましたね。当時一番の右腕だったスタッフ(編集部注:DADDY FINGER 志小田氏・8/24登場!)に運営を任せたのですが、その経験は彼の財産になっていると思います。今は独立して3店の繁盛店を経営しています。

お客さんが来ないと従業員は悩むんですよ。そこで、悔しい思いをするんです。何もせずに潰れちゃったら物語にならないけど、悩んで努力するとちゃんと結果が出る。西麻布はまさにそう。看板も出してないのですが、人が通らないから出しても意味がない。でも、それが逆に店の面白さになっている。住宅街にぽつんとあって、高そうな感じがするのに、入ってみると完全な居酒屋。「西麻布にこんな店があったのか」と思ってもらえますよね。徐々に口コミで広がって、半年後には月1000万円以上売る店になりました。あえて従業員に悔しい思いをさせる。結果が出たときには彼等も僕も嬉しいし自信にもなる。スポーツの世界でも何でもそうでしょうが、悔しい思いをしなきゃダメですね。僕もそうでしたが、悔しい思いの積み重ねが人を育ててくれるんです。

悔しさが人を育て、店を育てる



岩澤博

岩澤 博

1961年生まれ。アパレル営業を経て飲食業を志し、楽コーポレーションの宇野隆史氏に師事。5年間で開業資金1000万円を貯め、1993年西荻窪に「てやん亭゙」1号店をOPENさせる。現在は表参道、西麻布などを中心に大人の隠れ家的居酒屋を展開。スタッフ教育にも尽力し、新たな起業家を輩出するなど、熱い挑戦を続けている。

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