自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ!

起業のためのネット講義 自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ! 有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守

1999年に名古屋でオープンした居酒屋「唾々」を皮切りに、おでん屋やたこ焼き居酒屋などを次々と開業、2003年には東京進出も果たした伊藤氏は、35才にして7店舗を構えるまだまだ若手の起業家。「個性とチャレンジ」を基本コンセプトに、新しくて美味しい店をつくり続ける伊藤氏に、差別化できる店づくりのポイントを教えていただきます。

第4回 東京進出の第一歩はあわや大失敗 !?地道な努力で乗りきるべし!

東京進出の第一歩はあわや大失敗!?地道な努力で乗りきるべし!

恵比寿だだ5店舗目の 「 恵比寿だだ 」 は、2003年3月にオープンした味噌おでんの居酒屋。念願の東京進出1号店です。同じ商圏に複数の店があると、お客さんを自分の店で喰い合うだけですからね。名古屋は、景気がいいなんて注目されていますが、人口が少なくて飲食店が飽和状態です。皆、本当に苦労しています。人口が多い、商圏が大きいというのは、単純な差のようですが、大きな違いにもなります。オープンして4年経ちますが、いまだに初めてのお客さんが数多くいらっしゃいます。お陰様で、いまでも毎日のように満席をいただいているんですが、初めての方が多いですね。名古屋なら常連だけでいっぱいになる時期ですから、考えられないほどの規模の商圏があります。

恵比寿にしたのは、ゼットンの一号店が恵比寿にできたときに、料理長として立ち上げの 3ヶ月間参加させてもらっていたからです。その縁で、食材屋も地道に探して、ブレーンもできていたんです。大都会に出ようという思いを常に持っていたので、チャンスを逃さずやってみたかった。

有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守商圏が大きいといっても、最初の半年は大苦戦でつぶれかけました。おでん屋なのに、 3月にオープンしてしまったのが原因です。どんどん暖かくなっていくのを考えていなかった…。3?4月は、知り合いに来てもらっていたが、5?7月と全然ダメ。バイトもヒマでやめちゃうし、店長は胃潰瘍になるし。8月がドン底で、9月も同じだったら、やめようと本気で考えていました。開業資金を持ち出していたので、会社的にもしんどかったですから。そうしたら、9月にポンと数字が上がり、おでんの季節になってくると上がり続けて、その数字をキープできるようになりました。

高原豚現在、東京にある 3店舗は、すべて朝7時までやっています。それが、いまでも支持をいただいている理由のひとつ。4時、5時に満席になったりしますからね。同業者狙いが良かったのかもしれないですね。これだけ居酒屋があれば、働く人もたくさんいる、同業者が行ける店も作らないとダメというのが私の核となるコンセプト。私も36才になり、従業員も30才半ばになってきて、朝まで営業するのがしんどくなっていますけどね。でも、朝までやる店がなくなったら寂しいから、がんばろうと思っています。

それから、顔を売ることを忘れちゃいけないですね。当時の店長は、来てくれた同業のお客さんに名刺を出し、必ずその店に行きました。そうすると、違う人を連れてまた来てくれる。地味ですが、そういう人脈の広がりは大事です。最近は、そういったことをやらない、できない従業員が飲食店に多いですが、こんな当たり前のことができないと人とのつながりができないです。同業者ではないお客さんとのつき合い方も基本は同じです。恵比寿の店も半年間そうやって地道に我慢してきたからこそ、今があるんだと思っています。

有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守最近になって念頭に置きはじめたコンセプトは、海外でも通用する店ということ。 2006年12月にオープンした味噌おでんの 『 渋谷だだ 』 、同じく六本木にオープンした 『 串かつ男 』 は、外国にそのまま持っていっても、何とかやっていけるのではないかと思っています。東京進出の次は海外進出を目標としています。インド人の友達が多いんですが、彼らはおでん好き。宗教的に肉を食べないというのが理由みたいです。インドの他に、日本人が結構多いトルコなどでおでん屋をやってみたいですね。アメリカンドリームを目指すよりは、しっかりと商売できて、投資額も抑えられる土地で大成功を目指したい。そして、インドやトルコの食文化を日本に紹介するということもやりたいですね。今の私にとっては海外進出ですが、これから起業しようとする人は、自分が納得してやりたいこと、そして、今の自分にできることを明確に持つことを忘れないでほしいです。



伊藤守

伊藤守

有限会社 唾々ホームページ

1971年愛知県生まれ。大学卒業後、地方ラジオ局の内定を蹴って居酒屋業界に飛び込む。フレンチなどレストラン勤務も経験してから28才のとき名古屋で居酒屋を起業。朝まで営業する居酒屋、たこ焼き居酒屋など競合店とは一線を画した店づくりにこだわり、つぎつぎに繁盛店を生み出している。

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