自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ!

起業のためのネット講義 自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ! 有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守

1999年に名古屋でオープンした居酒屋「唾々」を皮切りに、おでん屋やたこ焼き居酒屋などを次々と開業、2003年には東京進出も果たした伊藤氏は、35才にして7店舗を構えるまだまだ若手の起業家。「個性とチャレンジ」を基本コンセプトに、新しくて美味しい店をつくり続ける伊藤氏に、差別化できる店づくりのポイントを教えていただきます。

第2回 自己資金ゼロから理想に近い一号店誕生

自己資金ゼロから理想に近い一号店誕生

有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守28才の時に起業したのですが、実は、貯金ゼロで始めてしまいました。当時は、同級生と共同経営というような形で立ち上げたのですが、借金からスタート。保証人が自分の父親だったというのもあるのでしょうけど、起業前に銀行から借りられたんです。失敗したら大変なことになると皆にいわれましたが、本人の危機感はゼロ、絶対に流行るという自信だけ。お客さんをたくさん持っていたし、地元の大学・高校だったので友人も多い。流行らない訳がないと思ってましたね。どうやって、忙しさを凌ごうという悩みの方が大きかった。幸いなことに、実際にそうなったからよかったです。

 銀行から借りたのは 1200万円ほど。他に、家族からの借金と合わせて資金は2000万円弱で、店を開けるまでに1600万円掛かった。「1号店によくそんなにお金を掛けたね」といわれました。デザイナーを使ったので高くなったんですが、その代わりに、奇抜で理想に近い店ができました。中二階のロフト席がある店なんて、当時はなかったですからね。

「ダイニングシェルター唾々」(現店名は「唾々」)それが、 99年11月にオープンした「ダイニングシェルター唾々」(現店名は「 唾々 」)。名古屋の中心地・栄から、歩いて7~8分にあるビジネスビルの地下1階で、18坪40席の居酒屋。中心地から離れた隠れ家みたいな物件を探していたので、ちょうどよかった。「唾々」の由来は、ヨダレが垂れるほど美味しい料理を出せたらなという願いを込めたもの。食にまつわる名前で、濁点があると流行るみたいな噂があったので、この名前にしました。ちょっと汚らしいかもしれないですが、インパクトがあるでしょう。当時、名古屋には朝まで営業している店がチェーン店だけだったので、4時まで営業しようとオープン前から考えていました。自分の経験から、0時まで営業する店で働いていると仕事の後に飲みにいける場所が少なかった。だから、朝までやるような店を作りたかった。最初の頃の客は仲間ばっかりですよ。飲み歩きが趣味で、いろいろな店で知り合いを増やしていたから、皆が仕事を終えてから来てくれました。

それから、名刺と DMを持って「よろしくお願いします」と近所の会社にあいさつ回りをしました。企業訪問は、先輩からやるようにいわれていました。界隈にお店が少なかったこともあるのでしょうが、すごく効果的で、皆さんよく来てくれました。客層は、最初から“二毛作”狙い。早い時間は、若いOLやサラリーマン。遅い時間は、自分と同世代の遊び人の皆さん(笑)。深夜帯にホストやキャバクラで働く人たちも来てくれて、バッチリはまりましたね。月900万円程度は売っていました。

有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守当時、オフクロの味に飢えているような風潮があって、メニューは和食中心。うちの母親が、 “ おばんざい ” を作って持ってきていました。流行には敏感にならなくちゃいけないと思っているので、流行っていたものを多く取り入れた。繁盛店のメニューをパクりまくり(笑)。でも、ちゃんと断りは入れますよ!自分で飲みに行き、「実は店をやっているが、このメニューを出してもいいですか?」と聞く。自分が作ったメニューをマネさせてくれといわれるとうれしいですから、「ダメ」という人はまずいない。そうすると、その人が店に来てくれるんですよ。そうやって、人脈ができていくものです。当時の名古屋の居酒屋の方々は、ほとんどうちに来てくれたかもしれません。昨年、名証に上場したゼットンの稲本健一社長も来てくださいましたね。



伊藤守

伊藤守

有限会社 唾々ホームページ

1971年愛知県生まれ。大学卒業後、地方ラジオ局の内定を蹴って居酒屋業界に飛び込む。フレンチなどレストラン勤務も経験してから28才のとき名古屋で居酒屋を起業。朝まで営業する居酒屋、たこ焼き居酒屋など競合店とは一線を画した店づくりにこだわり、つぎつぎに繁盛店を生み出している。

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