自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ!

起業のためのネット講義 自分の個性、お店の個性、従業員の個性を大事にする店づくりを目指せ! 有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守

1999年に名古屋でオープンした居酒屋「唾々」を皮切りに、おでん屋やたこ焼き居酒屋などを次々と開業、2003年には東京進出も果たした伊藤氏は、35才にして7店舗を構えるまだまだ若手の起業家。「個性とチャレンジ」を基本コンセプトに、新しくて美味しい店をつくり続ける伊藤氏に、差別化できる店づくりのポイントを教えていただきます。

第1回 勢いで居酒屋業界へ飛び込み、何となく起業を決意 !?

勢いで居酒屋業界へ飛び込み、何となく起業を決意 !?

有限会社 唾々 代表取締役 伊藤守こう見えても大卒なんですよ(笑)。コネでラジオ局から内定をもらっていたんですが、生意気だったので、「つまんねーな」と勝手に内定を辞退して、学生時代からアルバイトをさせてもらっていた居酒屋に就職したのが、この業界に入ったきっかけです。将来は、居酒屋を立ち上げようなんて考えてもいなかった。ただ、社長になれたらいいなという思いはあったかもしれない。社長になるなら、サラリーマンだと遠回りになるから、すぐに辞められそうな居酒屋に入ろうという不純な動機ですね。

高校時代からずっと飲食業でバイトをしていたので、基本的には、この仕事が好きだったのかもしれません。就職した居酒屋は、私が大学 4年の時にオープンした店で、立ち上げも経験しています。修業とは考えていませんでしたが、いま思えば、安い給料と長い労働時間は非常に自分のためになったかもしれない。当時は、バブルの終り頃で、同級生たちは、給料もボーナスもすごかった。「何で居酒屋なんかに勤めるんだ?」とよく言われましたね。もちろん親も大反対ですよ。ただ、一度やろうと決めたのなら、最後までやってみようということだけは考えていましたね。

フレンチ修行時代の伊藤社長(左)一度、居酒屋を辞めて、フレンチと和食の店で 1年ずつ働いたこともあります。フレンチのシェフが可愛がってくれて、いろいろな料理を教えてくれたことが、料理に目覚めるきっかけになったように思います。その後、最初に就職した店から、店長をやらないかと誘われ、居酒屋に戻りました。その時も、給料が1万円上がるのでいいかなという感じでしたね。その居酒屋は、いまも名古屋で営業している個人店で、40席程度のいわゆる洋風居酒屋です。店長は4年程やりましたが、私を含め4人ですべてをまかなうという忙しさで、そのときに居酒屋のおもしろさを知ったように思います。社長もおもしろい人で、店にほとんど出てこない。適当に仕事してるなと感じていた(笑)。深夜0時までの営業時間を「3時~4時に延ばしましょう」といったら、「いいよ、そんなの。大変だから」っていうような方です。「こんな適当でやれるなら、オレが頑張ればもっと流行る店ができる」と思ったのが起業のきっかけですね。ただ、店の雰囲気づくりや食器、BGMなどには、すばらしいセンスをお持ちでしたので、そういうところは参考にさせてもらっています。

『名古屋居酒屋研究会』の仲間達勉強を兼ねて、居酒屋などいろいろな店に食べに行っていたのですが、私と同い年位の人たちが何人も独立していて、「すげーな、こいつら」と刺激になりましたね。今でも彼らとは仲がいいです。当時の私は、独立に向けて何をすればいいのか全然分かっていなくて、大金が掛かることすら知らなかった。だから、外に出ていって、友人関係を築き、先輩達からいろいろと習うようにしましたね。当時の私は、本当にチャランポランで、物事も深く考えてませんでしたが、お店にも来てくれる仲間、アドバイスしてくれる仲間、一緒に働いてくれる仲間に支えられて、ここまで続けているように思います。



伊藤守

伊藤守

有限会社 唾々ホームページ

1971年愛知県生まれ。大学卒業後、地方ラジオ局の内定を蹴って居酒屋業界に飛び込む。フレンチなどレストラン勤務も経験してから28才のとき名古屋で居酒屋を起業。朝まで営業する居酒屋、たこ焼き居酒屋など競合店とは一線を画した店づくりにこだわり、つぎつぎに繁盛店を生み出している。

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