カジュアルレストランを運営するグローバルダイニングで最短期間・最年少で店長に就任、数々の店舗で実績を残した後、2000年に28才で独立した古里太志氏。東京・麻布に2軒の人気ダイニングレストラン、銀座にホテルのメインダイニングをオープン、若手の実力派として注目を集めている。また、接客・サービスのブロとして、サービスコンサルタント業も行っている古里氏に、店舗作り・チーム作りノウハウを伺ってみました。
グローバルダイニングの最短・最年少で店長に就任したということがよく取り上げられますが、 2 度の挫折経験に意味がありました。一度目は、社員になってすぐ、副店長の時に大きい組織をまとめる難しさを痛感させられました。接客では絶対に負けないと天狗になっていたんでしょうね。自分のお客様をたくさん抱えて、自分が接客して喜ばせれば売上も上がると思ったのが大間違い。何ともいかなくて、会社からはダメレッテルを貼られてしまいました。三宿の「ゼスト」にいたのですが、そこは200席規模のレストランで、自分が見られるお客様には限りがあるのです。声を掛けられるお客様は、せいぜい7~10卓。その他に、何十というテーブルがあり、自分の知らないところでお客さんが来て、知らないところで帰っていくわけです。そこにはチームのまとまりが求められる。自分の分身、自分と同じような思いで接客してくれる人間を育てることが一番大切だと思い知りました。
それを理解できたのは、規模の小さい六本木「ラ・ボエム」の店長に就任してからです。そこは、25坪位で手を伸ばせばすべてを見ることができた。自分の目でキッチンをチェックできるし、接客でもお客様がどういう表情をしていて、どう対応すべきなのかを判断できる。小さな店は、一人の力でいくらでも変えられるが、規模が大きくなると一人では何もできないとその時に初めて感じたんです。小さくても、大きくても、店を動かすというのは、同じ価値観・同じ方向に向かうようにモチベーションを統一することが重要なのです。言い換えると、お客様を喜ばせるために、一生懸命になれるスタッフの集団になれば、絶対に売上は向上するんだと学びました。
売上が伸びる時期に店長になったという運の良さもあったのでしょうが、3ヶ月目には月間850万円という売上記録も残すことができました。その期間でダメレッテルも外れて(笑)、どんどんやらせろということになり、売上アップが課題だった表参道の店に異動になりました。オレがオレがと前面に出るのではなく、チームの皆を引き連れて全員で前に出るという組織にすることができ、売上も前年比140%位まで上げることができましたね。あの時のチームづくりは、ほとんど青春ドラマでしたよ。朝6時頃に飲屋の前で、20~30人が座り込んで、「こんなんじゃだめだ!」とか「ケンカしてる場合じゃねえだろ!」なんて仕事への思いを語り合って全員が泣き出すという感じでしたね。
カジュアルレストランの立ち上げなど、新しいチャンスをいろいろと与えてもらうなかで、二つ目の挫折を味わいました。白金台の高級店のオープニング店長を 26 才のときに任されたのですが、高級なことをやっているだけあって、料理人にも思いやプライドがある。僕みたいな元気と根性だけでやってきた人間にはスキルも知識もない。コツコツと料理を学んで来た彼らにしてみれば、こんな若造に料理の何が分かるんだという感じでしょうね。当然ぶつかりました。悔しいですから、徹底的に勉強して、その人たちのレベルに辿り着いてやろうと決意しました。休みになれば、自腹を切って高級レストランを渡り歩きました。ワインも勉強しましたね。本で勉強したって知識にならないから、飲むしかない。どこにいってもワインばかり飲んでいました。それに、英語もしゃべれなきゃいけないですから、休みを使ってどんどん海外にも行きましたよ。もちろん全部自腹で…。
彼らのレベルに行き着くには時間が掛かりましたので、売上を上げるのにも時間が掛かりました。自分を磨くと同時に、チームを作らなきゃいけない難しさというのは、説明しても伝わらないかもしれないですね。体験して初めて大変さがわかると思います。それに、社内でカリスマと呼ばれていた店長が率いる姉妹店と常に比べられていたこともプレッシャーでしたね。その方からは、いろいろと教わりましたが全然敵わない。負けたくないという葛藤もあって、すべてが半端で未熟だと情けなく思って、苦しんでいましたね。でも、それを味わったことで、独立を真剣に考える強さが身に付いたと思っています。
古里 太志
1971年神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京工芸大学建築学科を卒業後、グローバルダイニングに就職して数々の店舗で実績を残す。
2000年に西麻布のダイニングレストラン「Furutoshi」で独立、01年に麻布十番に「Pacific Currents 」、05年11月には銀座にホテルメインダイニング「sky」をオープン、いずれも人気店に育てる。
また、サービスコンサルタントとしても活躍、異業種との交流により外食業界に新たな手法を積極的に導入している。