カジュアルレストランを運営するグローバルダイニングで最短期間・最年少で店長に就任、数々の店舗で実績を残した後、2000年に28才で独立した古里太志氏。東京・麻布に2軒の人気ダイニングレストラン、銀座にホテルのメインダイニングをオープン、若手の実力派として注目を集めている。また、接客・サービスのブロとして、サービスコンサルタント業も行っている古里氏に、店舗作り・チーム作りノウハウを伺ってみました。
バイト時代は、楽しいばかりで修業しているという感覚はまるでなかったですね。実を言うと、いまに至るまで修業していると思ったことがないですね。僕にとって、この仕事は、趣味や遊びの延長に近いかもしれない。それだけ楽しんでいるということですね。もちろん、独立を目指していたので、お金を貯めて、ノウハウも蓄積して、人脈を培ってきたので、結果的には修行時代だったのかもしれないですけど。自分の感覚としては、自然の成り行きでここまで来たかなという感じですかね。だから、お金もうけにガツガツしていないし、ビッグになったともまるで思っていない。何十店舗も展開している方に比べたら、小さいものですからね。だからこそ、自分のスタンスでやって自然にやっていられるんでしょうね。
学生時代にいろいろな出会いと経験をさせてもらいましたが、いざ自分が進路を決める時には、建築に行くか飲食にするか悩みましたね。それに、飲食というよりも接客に興味があったのでまた別の道も考えました。営業もある意味では接客ですからね。結局、アルバイト時代の店長の後押しがあって、グローバルダイニングに就職しました。僕がバイトにも関わらず、店長が会社のことをいろいろと語ってくれたんです。売上が上がらなくて店長会議でバッシングを受けたとか、反対にすごいボーナスをもらったとか、いろいろと聞いているうちに厳しい会社でありながら、すごくいい会社だなと感じて、自分に向いていると思ったわけです。その店長からも、お前はこの会社に向いている、店長にもなれると薦められました。とはいっても、せっかく建築学科を出ているわけですから、学校の教授など周囲の反対は大きかったすね。親は、反対というよりは、飲食店はいつでもできるから、サラリーマンをやってみて本当にやりたかったら戻ればいいじゃないかと言っていました。それでも、自分のやりたいことをやるという気持ちが勝ったのです。反対した人たちを見返すというほどではないにしろ、「この仕事を選んで良かったでしょ」といえるような人生を送ろうと決意したので、そういう面ではすごくハングリーでした。
なぜ、飲食店をやりたかったのかといわれると、「食」というのが、人が幸せになるステージだと考えたから。怒って食事をする人はいないですよね。 1 日に何百人の知らない人と出会えて、お金を払ってもらっているのに、こちらが「ありがとう」と感謝をされる。みんながハッピーになるのをサポートできる仕事って、飲食の他にはないと思いました。それに、飲食店特にレストランにはいろんなジャンルの人たちがやってきます。洋服屋だったら、そのブランドが好きな人、その店にあった客層しか来ないじゃないですか。でも飲食は違います。例えば、 4 人の人が食事に来てくれたとしたら、その内の 1 人の意見で店を決めている場合が多い。ということは、その店を知らない人、興味がなかった人も来てくれるわけです。そう見ていくと、仕事も違う、生活環境も違う、人種も違う、年齢層も違う人たちが集まってくる場所、それがレストランです。居酒屋は、ちょっと違っていて来店する人が限定される傾向がありますよね。接客に対する思いが強かったので、レストランに興味が傾いたのです。
古里 太志
1971年神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京工芸大学建築学科を卒業後、グローバルダイニングに就職して数々の店舗で実績を残す。
2000年に西麻布のダイニングレストラン「Furutoshi」で独立、01年に麻布十番に「Pacific Currents 」、05年11月には銀座にホテルメインダイニング「sky」をオープン、いずれも人気店に育てる。
また、サービスコンサルタントとしても活躍、異業種との交流により外食業界に新たな手法を積極的に導入している。