米国産牛肉が残した影響と輸入牛肉問題の本質 ~ジャーナリストが探る輸入牛肉問題の本質~

米国産牛肉が残した影響と輸入牛肉問題の本質 ジャーナリストが探る輸入牛肉問題の本質

2003年12月24日、米国内でBSE感染牛が発見されたことに端を発する米国産牛肉の輸入禁止問題。解禁、そして再禁止と紆余曲折を経るなか、外食産業では業界再編にも近いほどの大きな影響がありました。改めて輸入が再開された現在も流動的な状況が続いていますが、「外食日報」編集長という立場で、この問題を目の当たりにしてきた菅則勝氏に輸入牛肉問題の根底にあるポイントを語っていただきます。

第4回 根底に潜む問題を捉え、プラスに転ずるべし!

米国産牛肉の輸入解禁がどのタイミングになるのか分からなかったと何度となく書いてきた。特に2004年春の時点ではこれほど長期化すると予想した人は皆無と言い切ってしまってもいい。2005年初めには、時間が解決するという声も聞こえるようになってしまったほどだ。輸入解禁が2年後になるとは想像もつかず、さらに輸入解禁後に再停止になってしまうような事態が待ち構えているとは思いもよらなかった。
これほど輸入解禁が長期化したことについて考えてみたい。

日米両国ともに「早期に輸入(輸出)を再開したい」という意思を口に出していた。実際に輸入(輸出)が再開されたのは2年後。決して早期と呼べるような期間ではないだろう。どちらも同じことを考えていながら、これほどまでに時間がかかった要因はなんだろうか。
いくつかの要因が考えられるが、日米の考え方の違い、考えの起点が異なっていることが大きな要因の一つということができる。日米両国ともに早期再開という同じ目的地を目指していた。目的地は同じだったが、目的地に向かうためには、どの道を通り、どの交通手段を選ぶのかを決める段階で話を難しくしていた印象がある。

安全と安心という言葉がある。日本でBSEが発生して以来、「食品の安全、安心の確保」というようなつかわれ方をされてきた。例えば、農林水産省でも「食品の安全と安心のための取り組み」といった形で、安全と安心を並べている。安全と安心は同じようなニュアンスを持つ言葉としてくくられているように漠然と感じる。この二つの言葉はまったく異なる部分を起点としており、この起点の違いが日米の考え方の違いということができるだろう。

前述のように、米国産牛肉輸入休止の間、米国の食肉加工業者のと畜加工処理プラントを見学する機会があった。同じく北米のカナダでも2004年1月(カナダBSE発生により輸入禁止期間中)に食肉加工業者のと畜加工処理プラントを見学している。
これらの機会には、食肉加工業者のと畜加工処理プラントを見学しただけでなく、政府関係者、畜産に関する公的機関、牛の肥育を担当している肥育業者、飼料メーカーなど、なんらかの形で牛肉の生産に携わっているさまざまな立場の人から話を聞くことができた。
それぞれ牛肉に対する関わり方は異なるが、BSE対策やその考え方について訊ねると、答えは驚くほど一貫している。立場に関係なく「科学的根拠に基づいた安全」を強調した答えが返ってきた。さまざまな立場の人が「科学的根拠に基づいた安全」を根拠としてBSEと向かい合っている。
政府関係者や公的機関の関係者は科学的根拠に基づいて食品や動物の安全を確保する施策を考える。肥育業者、食肉加工業者といった牛肉の生産、製造現場では「科学的根拠に基づいた安全」を理解して、さまざまな対策を実践する。
実際、さまざまな人の話を聞き、さまざまな立場の人たちが「科学的根拠に基づいた安全」を根拠にBSEと対峙していることを理解できたのは、大きな収穫だった。これによって日米間の考え方の違いがとてもよく理解できたためだ。
日本ではどうも安心に根ざした施策を取り入れているように感じる。全頭検査という検査のシステムは安全というより、すべて調べたので安心という考え方が強いような気がしてならない。安心という言葉は字面からも分かるように、生理的なもの、気持ちの部分に拠るものだ。
米国やカナダで全頭検査について聞くと、「科学的根拠に乏しく、全頭を検査するならば、その労力やコストをほかに回すべきだ。月齢の若い牛(海外では30ヶ月齢未満での線引きが一般的)のBSE発生確率はとても低いことが科学的に分かっているのに、全頭を調べても仕方がない」という答えが返ってくる。
口に入るものだから、どんなに小さな不安があっても、受け付けることは生理的にできない。全頭検査は感情や不安感といった生理的なものを解消するための施策であり、安心に軸足を置いているように理解できる。
安全と安心は同じようなニュアンスでつかわれることが多いが、根ざしている部分が異なる。枕詞のように組み合わせているが、決して同じようなニュアンスではない。日米両国では考え方の起点が安全と安心に分かれる。どちらの道を選ぶか、どの交通手段を利用するのかといったことで、話が進まず、出発までに時間を要した。これが問題を長期化、複雑化した一因といえるだろう。

数回に渡って話してきたように、米国産牛肉輸入禁止は外食業界にさまざまな影響をもたらしてきた。一時的であれ、牛丼という一般的に認知されているメニューが店頭から消えてしまい、牛肉をメーン食材として使用している業態は大きな転換を迫られている。とてもよく覚えているのは、2004年12月に仙台の牛タン店を利用したときのことだ。メニュー表に値上げのお知らせと記してある。以前は米国産の牛タンを使用してきたが、輸入禁止で使用できなくなり、全体が豪州産にシフトしたことから、牛タンの相場が暴騰したという事情だ。価格据え置きだが、従来よりも肉の枚数を減らさざるをえなかったという話と話していた。
店の方に話を聞くと、「値上げを理解してもらい、なんとか対処できるのは、まだいいほうです。閉店したお店もあるわけですから」という答えが返ってきた。
規模の大小に関係なく、牛肉を扱う外食店舗にとっては少なからず影響が生じている。この原稿を書くに当たり、2003年12月24日以降の記事を読み返した。関連した記事はとても多く、その記事量をみることで影響の大きさを再確認できる。
今後のことは想像もつかないが、一つだけいえることがある。この米国産牛肉輸入禁止の期間、外食業界ではさまざまな立場の人がいろいろな形で苦労を重ねてきたはずだ。重ねてきた苦労をプラスに転じられるように生かして欲しい。

※参考文献は外食日報。バックナンバーから記事の一部を抜粋した。記事中の役職名は当時のものを使用している。



菅則勝

菅 則勝

1970年、埼玉県生まれ。書籍編集者、業界紙記者を経て、2000年3月、外食産業新聞社に入社。02年7月より日刊の外食専門紙である外食日報の編集長を務める。これまで米国、カナダ、オーストラリアで、食肉加工業者のと畜加工処理プラント、肥育場、飼料工場などを視察した経験を持つ。米国、カナダはBSE発生後であり、各国への輸出減少など、さまざまな影響がある貴重なタイミングでの視察となった。

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